ターニングポイント

 

先日、第一次のゼミ選考の面接を受けた。手応えはあるように思えた。

 

これもまたターニングポイントだろうか。

 

人間が死ぬまでにターニングポイントは何回あるだろう。ターニングポイントといっても大きいものと小さいものがあるように思う。ゼミ選考は大きいターニングポイントになるだろう。

 

僕が高校受験をする時、偏差値64(当時)の高校を第一志望としていた。オープンスクールにも参加したし、学校の名前がカッコいいというのと、自分が入部しようとしていた部活が県内でもそこそこに強いというのが志望する大きな理由だった。しかし、私立高校を受験していなかったというのが理由で担任の先生は偏差値58(当時)の高校を勧めてきた。結局は後者の学校を受験し、合格した。

 

僕がもし前者の高校に合格していたら、その後の人生はどうなっていたのだろう。まったくも見当がつかない。しかし、後者の高校に進んだことに後悔はない。最高に楽しい高校生活だったから。自分が決めたことに後悔はないだろうか。僕が決めてきたこれまでの人生で後悔はほとんどない。ほとんどない。ほとんどないなんてよく出来た人生だと思う。

 

これからの人生でも何回もターニングポイントがやってくるだろう。その何回も訪れるターニングポイントで自分は自分が決めた方向へ進めるだろうか。歳を重ねるにつれて自分の意見を通し続けることに難しさを感じるようになった。突っ張って進めるほど甘くないな。この世の中は。

そうまおめでとう

つい先日、僕がお風呂に入っているときのこと。

 

母「ひろき!(ドンドン)  あと何分で出てくる?」

 

「は?なに?」

突然のことだったのでそう返すしかなかった。

 

すると、見覚えのある茶髪のピスタチオみたいな顔の男が風呂の扉を開けて覗いてきた。

茶髪の男「おう中井!受かってん!」

 

彼は竹本颯馬。地元の友達で漫才師になることを目指している。

どうやら、吉本興業の養成所の試験に合格したそうだ。かねてより養成所に行きたがっていたようなので少し舞い上がっているように見えた。

 

彼とは小学生の頃から数えて3回ほどステージに立って漫才をしたことがある。最近は共通の先輩が組んでいたバンドの引退ライブの前説もやった。漫才は身内ネタでウケたけれど、前説はなかなかシビアだった。あれはあれでいい経験だったと今振り返って思う。f:id:quiny_hiroki912:20171012221837j:image

 

そんな彼がやっと夢に向かって一歩踏み出した。とてもめでたいことだ。おめでとうそうま。そしてこれからも頑張れ。都祁の大漫才師になってくれ。

 

p.s オカンがカレーのタッパー返せって言ってるぞそう

 

*20歳になって*

皆さん、こんにちは😇

なかいです。

 

私ごとになるのですが、2017年9月12日に20歳になりました🤘🎉

 

で、少し前から"20歳になったらやってみたいな"と思っていたことが何個かあって、「ブログを始めてみる」がその一つにあって、今回始めてみたって感じです。語彙力が乏しい文章だと思いますが、少し暇があれば読んで頂きたいなと思います。

 

今回は20歳になって思うこと、感じることを書いてみようかな思います。(テキトーすぎないかな大丈夫かな)

 

今になって何が得意なのかわからなくなってしまった、というのが最近特に思うことです。僕は高校生の頃くらいまでは、「なにが得意か?」と問われても、「〜〜〜〜です。」と答えることが出来たはずです。今はなにが得意なのか、得意だと思いこんでいて実際やってみればまったく出来なかった。ということが結構あるなと感じています。逆に、不得意なことがいっぱい出てきて、"あ、俺ってこれも出来ないんだ。こんなことも出来ないんだ。"と滅入ってしまうことが増えたと感じています。で、最近取り組んでいるのは、不得意なんだけどちょっとやってみよう作戦ってのをやってて。今は、中学と高校の同窓会の幹事的なことをやらせてもらってて。実際、自分は人をまとめるのが下手で、なにか企画しても効率悪いし、自分には向いてない、不得意なことなんだけど、幹事って1人じゃないから他の人がどうやって人をまとめてるのかとか、どうリーダーシップをとってるのか盗もうと思って無理矢理だけど幹事っぽいことをやらしてもらってます。今は出来なくてもいつか出来るようにミスしても頑張りたいなと思ってます。だから、中学の同窓会も高校の同窓会もとても楽しみにしてます(関係なくね)

 

みなさんは、なにが得意でなにが不得意なのかとか考えたりしますか?

こんなことを考えるのはぼくだけなのでしょうか。だれかがSNS上でこんなニュアンスのことを言ってました。「病むことは悪いことではない」

本当にそう思います。病むって自分と向き合うことなんじゃないかと僕は思います。でも、病んでもいいけど、他人の意見をまったく受け入れないのは全然違うんです。だから、病むっていうより深く考えるって感じなんです。僕の中では。だから、深く考えて、厚い、人間を目指したいなと思います。顔はとても厚いけどね。